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主な文献(展覧会カタログ・美術雑誌・新聞等)

1995 本江邦夫 「二重の光」ガレリアキマイラ KITCHEN CHIMERA Vol.8
1996 名古屋覚 「VOCA‘96」上野の森美術館、カタログ
  樋口昌樹 「感じる絵画」資生堂ギャラリー、カタログ
1998 村田真 「見ることの喜びを求めて」日経アート2月号
  宮崎克己 「第一生命南ギャラリー所蔵作品集」、カタログ
1999 村田真 「絵を掘り起こす画家」 AERA2月8日号「21世紀作家図鑑」
  佐々木正人 「視覚の培養器:見つづけなければならないもの」エキシビジョンスペース、カタログ
  石川健次 「誘惑する光」毎日新聞9月30日夕刊
  草薙奈津子 「その先に未知の空間・・・」東京新聞10月8日夕刊
  提髪明男 「Intercommunication」レビュー、月刊書道界11月号
2000 並河恵美子 「東京国際芸術祭2000」カタログ
2001 提髪明男 「桃の節句のジャム・セッション」ガレリアキマイラ KITCHEN CHIMERA Vol.020
2004 無署名 「清冽な光の芸術」Bien 美庵vol.24
  無署名 「“白にこだわる私”のユポ」YUPO PR誌 No.41
2005 本江邦夫 「富岡直子あるいは光の形而上学」*1)第一生命南ギャラリー・ギャラリーなつか、 カタログ
  倉林靖 「光の記憶への旅」 ウエッブ スカイドア
2006 谷新 「いまいるところ、いまあるわたし-VOCAに映しだされた現在」 宇都宮美術館、カタログ
2009 広本伸幸 「富岡直子 生命ある色彩」 「富岡直子 resonance-Ⅱ」
      「色彩の再現、光の性質」VERITAS ARS NECESSARIA、
    (株)ベリタス カタログ2009
2010 村田真 『artscape 1999>2009「アートのみかた」』BankART1929刊
2015 五十嵐卓 「クインテットⅡー五つ星の作家たち」損保ジャパン日本興亜美術館、カタログ
  渋沢和彦「響き合う女性5人の風景」産経新聞 1月22日刊
大西若人「風景の探求、それぞれの試み」朝日新聞 1月28日夕刊
岸桂子「心象風景 多彩に」毎日新聞 1月28日夕刊
C.B.Liddle「Guiding the landscape of abstract painting」THE JAPAN TIMES、1月30日刊
文:(阮)「中堅女性画家の五重奏」読売新聞 2月2日夕刊
石川健次「中堅世代の5人が奏でる今 色彩への並々ならぬ関心の先に」 週刊エコノミスト2月3日号
真住貴子「DOMANI・明日展」国立新美術館、カタログ
  渋沢和彦 「DOMANI・明日展 体感で得た重く多様な表現」産経新聞 2015年12月17日刊
2016 倉林靖 「アートで過去と現在をつなぐ」BIOCITY 2016年No.65
  倉林靖 「『DOMANI展』の富岡直子の作品」月刊ギャラリー 2016年2月号
 
*1) 「現代日本絵画」本江邦夫著 みすず書房 2006年刊 収録



主な装画

  • 江藤淳 『人と心と言葉』文芸春秋 1995
  • 松本悦子 『生きのびて』読売新聞社 1996
  • 山本昌代 『顔』河出書房新社 1997
  • 田久保英夫 『滞郷音信』慶應義塾大学出版会 2003
  • 山崎朋子 『朝陽門外の虹』岩波書店 2003
  • 吉野弘 『吉野弘全詩集』青土社 2004
  • チョウン著/中村福治訳 『沈黙で建てた家』平凡社 2004
  • 一色真理 『偽夢日記』土曜美術社出版販売 2004
  • ディラン・トマス/松田幸雄訳 『ディラン・トマス全詩集』青土社 2005
  • 木村敏 『あいだ』ちくま学芸文庫 2005
  • 花崎皋平 『田中正造と民衆思想の継承』七つ森書館 2010
  • 吉野弘 『吉野弘全詩集 増補新版』青土社 2014

二重の光

本江邦夫

「私たちの生は 変身とともに 消え去っていく」
(ライナ・マリア・リルケ)

 今世紀におけるもっとも特異な画家のひとり、バルテュスの処女作が十三歳で出版した絵本『ミツ』であり、かわいがっていた猫をめぐるこの絵物語の序文を書いているのが、意外にもリルケであることはよく知られた事実である。バルテュスの母で自身も画家だったバラディヌ・クロソウスカと、今世紀のもっとも重要な詩人のひとりリルケとのあいだにはある種の内的な交感があり、往復書簡も残されている。今さらいうまでもなく、リルケはことさら手紙を、それも淑女あての手紙を好んだ詩人であった。とはいえ、その内容には軟弱なところはほとんどみあたらず、芸術、時代、社会にたいする鋭い直感が満ちあふれている。たとえば、一次大戦が終結して間もない1921年2月28日づけのバラディヌあての手紙では、目にしたばかりの数十点のクレーの線描にふれつつ次のように書いている。「戦争の数年間というもの、私はしばしば対象が消失していくのを眺めているような印象をもちました。」それまで不動のものと思われていた建築物が強力な爆薬によって一瞬のうちに灰燼に帰する、これはおそらく最初の科学戦ないし機械戦ともいうべき一次大戦を目の当たりにした者の実感であったろう。そして、「うち砕かれた存在は、さまざまな破片、残骸にその最良の表現をみいだすことになるでしょう。」対象の消失と存在の断片化、これこそは20世紀の絵画の本質ではなかったか。
 富岡直子の一連の発表について一文を草するにあたって、なぜリルケの手紙を思い出したのか、はっきりとした理由は分からない。ただ、彼女の作品空間のなかにある一種の所在なさが、おのずから対象の喪失ともいうべき事態を呼び起こし、そこからリルケに行きついたのだとでもいうしかない。対象の喪失、それをすぐさま非対象絵画といいかえて事足れりとするなら話は簡単でいいかもしれないが、実際は、非対象絵画とはいっても絵画の主題の対象性そのものが失われているわけではない。つまり、それは再現的ではないけれども、あくまでも具体的な対象を前提とした絵画なのである。富岡直子の作品には、事物の存在そのものに根ざしたそうした対象性はみあたらない。それはむしろ、絵画という視覚が支配する場にあって、事物が事物として存在することを保証するもの、つまり光に向けられた表現、いやむしろ光のメタファーなのである。
 とはいっても、世界に遍在する光そのものが彼女の主題というわけではない。事物なり対象なりがあって、光の介在によってそれを見る者がある。まさにその関係性において作品は生じるのである。やや堅苦しい言い方をするなら、対象というものを設けずに、ひたすら視覚ないし知覚を問いかける富岡直子の世界は、この点で現象学的といえるかもしれない。1993年のNICOSギャラリー(東京・本郷)の個展は「たゆたうものとして」と題されていた。しかしながら、注意してほしい。そこでたゆたうのは事物なり対象ではない。たゆたうもの、それはむしろ光とともに世界に立ち会わされた見る者の存在そのものなのである。
 それにしても、「たゆたう」―――富岡直子の作品の断片的性格をこれ以上にみごとに言い表したことばもないだろう。実際、彼女の作品は真っ白な地を背景とした、光の破片のような半透明の緑の色面の重なり合いでできており、しかもそれらはつねに不安定に揺らいでいるようでいて、世界というものをあるまとまりをもった内的な空間として見せようとはするが、けっしてその全体像を明らかにしようとしない。しかしながら、だからといってそれは世界の部分であるというのでもない。部分と断片とは厳密にちがうものである。部分とはあくまでも全体の一部である。よく部分と全体の一致というが、こうした整合性こそ部分―全体の関係に本質的なものである。これに対し、断片とはむしろ全体の痕跡であり、本質的にまとまりを欠いたものである。だからこそ、すべからく断片には世界ないし全体を遙かに希求するところがある。全体とはいわば、断片の故郷なのだ。なぜリルケが、事物の表現において打ち砕かれた存在の破片つまり断片を強調したか、その本当の理由はここにある。
 富岡直子の作品を前にするとだれでも、きらきらする光のもと新緑の森を散策する詩人の気分になるだろう。光はつねにうつろい、風はいつ吹くか分からず、世界が見せるのはつねにその華麗な破片だけだ。しかし、そうした瞬間の切実さこそ、実は彼女の断片的な作品の秘密かもしれないのだ。ガレリア・キマイラの今回の個展では、テラスに向いた大きな窓から陽光が降り注ぎ、この外なる光は作品の内なる光と同調しつつ、また作品にひそむ陰影をも明るみにだした。たしかに、富岡直子の世界にはある種の暗がりがある。そしてそれは、見る者の内部に特別な暗闇として蓄積された光の記憶を呼びさます。外なる光がこの世のすべてではないのだ。富岡直子はいっている。「私達はときに真昼の太陽の下でさえ存在を確信できずにいる」と。実際そのとおりだ。外なる光に拮抗する内なる光つまり「見るもの自らの闇の中に重ねた光」をもたないかぎり、見るものはいつまでも自らの存在を確認できない。富岡直子の光と闇、いやむしろ二重の光に包まれてこそ、見る者ははじめて見る者となるのである。

(東京国立近代美術館学芸員,1995)


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視覚の培養器:見つづけなくてはならないもの

佐々木正人

 

 富岡直子の作品の前に立つとまず浮遊が起こる。知覚心理学は、環境にいて立ちつづけたり、移動したりする私たちの行為を、周囲にあるものの表面を密に埋めている微細なきめの変化が制御していることを示している。きめの変化を光学的流動とよぶ。それは行為が周囲の見えと柔軟に接続することを可能にしている。富岡の画面は経験したことのない流動場を私たちの視覚に与える。ゆるやかにたたまれた綿のような、なじみのない媒体が、すばやく眼と画面の間に介入して、であいがしらに姿勢の制御をゆるめてしまう。足裏と床との摩擦がうすくなり、画面の前での移動がやや自在になる。靄(もや)に包囲されたように見えるが、それはこの画面の前では流動場のオプティカル・フォース、つまり光にある行為を制約する力が弱いせいである。浮遊は、光と視覚を接続する情報が粗いので、身体がわずかに動揺して起こる効果である。
 このやわらかな包囲はしかしいつまでも続かない。浮遊を土台にして周囲にいろいろなことがあらわれてくる。いくつものかたちが見えるが、ここにあるかたちは一つのかたちに収まっていない。眼は不安になってかたちの輪郭をたどろうとして、輪郭線がないことに気がつく。かたちの境界にあるのは線ではない。どこかとつながろうとしている接合部としての縁(へり)である。一つの縁は多様な近隣と同時に接している。だから関連せずにいたいくつものかたちが急にリズミカルに強調しはじめ、いつのまにか画面の大部分を制する大きなかたちとしてたちあがってくるようなことが起こる。深さにも同じようなことが起こる。色に塗りつくされていると見えた部分の下に、わずかにことなる色が見えてくる。下地の白間で含めて多重な色の入れ子が潜んでいる。このようなかたちや色の変化は、私の眼が探しあてたことではない。もともと画面にあってそこで自律して動いているよう起こる。
 靄の中にだんだんといろいろなことが見えてきて全体が鮮明になるというわけではない。いつも画面のどこかが、眼と新たに同期しはじめる。一つの変化が他の変化の呼び水になることもある。あらわれたことを眼で捕獲しておいて、画面に定着させて全体を一つに落ち着かせてしまおうと焦るのだが、すぐに、ここに固定した何かを見ることは困難だとわかる。ここにあるのは視覚協調の巣である。画面の前に立つ者は靄と止むことのない生成のリズムの両方に包囲される。  画面は変わりつづける。変わらないものならば、たまに見ればよい。変わりつづけているものを私たちはなんども見る。そして視覚とはほんらい変化に吸引されるようにできたシステムなのだということに気づく。画面に眼を向けるたびに、それがとらえがたいところであることを思い知らされ、うれしくなり、一方で後悔もする。いちど見はじめたら見つづけなくてはならない、そういうものがあるという思いである。
 変わりつづけることに出会うと、それにかかわりつづけなければならない。私にはそれが富岡直子の作品群が提示している主題に思える。ここにあるのは発達する画面であり、視覚がいつまでも結晶しつづける可能性である。彼女が「光を表現しようとしている」という人がいるそうだ。おそらく光もそういうものなのだ。

(生態心理学者/ 東京大学教授)

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毎日新聞 1999.9.30 「富岡直子展」

石川健次

 

 透明感のある、そしてやわらかな色彩が画面を染め、まるで日だまりにいるような温もりの中に見る側を誘う。 この作家の作品からしばしば受ける印象である。視覚的な心地よさに加え、見る側の全身を包みこむほどの豊かな光が、作品からは絶えず差し込んでいたのだ。
 触覚も巻き込んだその印象が、多分に透明感のある色彩によっているのはまぎれもない。風景や人間など具体的な主題を描くための素材、あるいは手段としてではなく、それ自身が強烈に存在を主張し、見る側を幻惑する媚薬へと、色彩はすっかり姿を変えているのだ。
 新作《99-05》でもそうした印象は健在である。だが、しばしば画面の大部分をおおっていた色彩は、今回の新作群ではむしろ断片に引きちぎられ、画面に浮遊する。あらわになった余白と色彩の断片とのコントラストは、おのずと色彩の輪郭を誇張する。
 輪郭に縁取られた色彩、言い換えれば以前にも増して鮮明な形を得て、色彩は見る側の視覚にいっそう力強い印象を刻むのである。そればかりではない。色彩にほどこされる微妙な濃淡もこれまで以上にデリケートに加減され、比較的薄塗りが中心の画面から新作ではところどころ厚塗りが試みられた。
 これら新たな工夫が新鮮な表情へと結実し、見る側の関心をさらに引き寄せるのは言うまでもない。90年代初頭のデビュー以来、一貫して作家は望み続けているのだ。見る側が視覚の心地好さに酔い、光の誘惑に身を任せる、そんな色彩の出現を。

(記者)

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東京新聞 1999.10.8 「富岡直子展」

草薙奈津子

 

 絵画ってこんなに美しいものなんだ! 会場に一歩足を踏み入れての正直な感想であった。大作が中心といっても、たった五点余の展示。各作品には具体的に意味するタイトルもない。純白の画面上で鮮やかな色彩が輝き躍っているだけである。
 富岡の色彩に形はない。しかし子供のころ作った先のとがった紙飛行機のような色の塊が交錯し、どこかに行きたがっている。そういう方向性が今回の出品作にはある。彼女が使う色彩は青系の寒色、橙系の暖色と幅が広い。それを刷毛でぬぐうようにぼかし、色彩が透明に、しかし深く大きく、白い綿布に染み込む。そしてそこに柔らかい触感を感じとる。だから青系の作品の前に立つと、彼女の色が生む雲に乗って爽やかに宇宙の彼方に飛行させてくれるような、純でわくわくした好奇心に満ちあふれさせる。橙色は、まるで森の空気に包まれているような安心感をもたらす。
 富岡の描く抽象画は自然を強く感じさせる。そしてその先には宇宙という広大、かつ未知の空間が控えているという、のびのびした気持ちにさせる。と同時に、不思議な発光体が隠されているようで、色の間をのぞき込んでみたい衝動に駆られる。そういう奥行き、というより、奥が、富岡の平面作品には現象として顕れる。
 抽象画はうっかりすると色の遊びになってしまう危険性がある。伝統的に、芸術における思想性より、装飾性に優れた日本人には、特にその危険性がある。まるで美人が首に巻いている美しいスカーフだけを見ていて、その奥に人間が存在することを見忘れているような、表面的な美に終わって、それ以上のものが感じられない作品が間々ある。そういったなかで富岡は、意識してか、しないでか、色を操りながら、キャンバスという彼女のみの世界を、自然、さらには宇宙という共通語に置き換え、われわれに豊かに語りかけようとする。もっともこれはあくまでも私の感じることである。しかし富岡の作品が見るものに何かを実感させるのは確かである。それを彼女の思想性故というのか、感性故というのか今の私には判らない。思想性としたら、饒舌すぎず、感性としたら、あまりにまぶしい。それほど貴重なものだと思う。しかし感性の持続は難しく、思想の後退はいつかやってくる。そういう難物とどう取り組んでいくのか。まだ三十歳前半。期待の大きい作家である。

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清冽な光の芸術

 

 絵画をその時代の美術の潮流とシンクロさせて描く画家がいるとするなら、富岡直子はその対局に位置する。1996年にはVOCA奨励賞を受賞している彼女の作品には、誤解を恐れずに言えば、難解さはかけらもない。まず見るものは透明感に満ちた“光”の充溢に素直な驚きと感嘆を覚えるだろう。類縁や関連性を指摘しやすい作家の多いなかで、彼女の独自の作風は異彩を放っていると言える。
 富岡は地塗りをジェッソで行い、アクリルを主体に色彩を重ねていく。相互に浸透するようなグラデーションと発色の良い透明感はアクリルの特性をまさに生かしたもの。色彩の構成は計算された論理性より、むしろ自然なしなやかさといったものを感じさせる。「描くというより彫り起こしていく感覚に近い。描いているうちに、もともと画面にその色や形があったんじゃないかと思えてくるんです。そう思えてくるまで筆を置けない」。
 隠された神性や聖なるもののアウラを描き出していくという点では、表出の仕方はまったく異なるものの、ルドンやカンディンスキーらが古典や民俗に題材を得た作品群を彷彿させる。「私は、作品を見ることにより、見るもの自らの闇のなかに重ねた光を照らし出し認識するきっかけとなることを望む」。彼女の作品を見ながら、20世紀以降失われてしまった絵画の可能性に思いをはせたい。

無署名 美庵vol.24(C)藝術出版社)

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富岡直子あるいは光の形而上学

“... and therefore never send to know for whom the bells tolls; it tolls for thee.”------ John Donne

本江邦夫

 

 富岡直子さんの作品を見る機会をえてからかれこれ10年になる。この間、彼女はほとんど愚直とも思えるほどに、一貫して「光」を主題としてきた。とはいっても、それはよくありがちなニュアンスにとんだ抒情的なものではないし、最近流行のことさらに映像を意識した「作為」とも無縁である。富岡さんの光はたんなる光線とか反射光ではなく、私たちの身体を、たとえば運命のように切り裂きつつ通過しながら、宇宙との一体感をともなったある種の神秘的な感覚で満たしていく、あえていうならば形而上学的な光である。富岡さんの作品を前にすると、私はいつも何かの結晶とか切子細工を想う。つまり、そこでは光は捉えどころのない輝きというよりも、透明ではあるけれども硬質な煌き、いやむしろ実体なのである。
 富岡直子さんにあって、なぜ光はほとんど絶対的なまでに、かくも物質的なのか。答えは(そして問いも)さまざまに可能であろうが、画家との数少ない対話をつうじて、ほとんど私が確信しているのは、その人生のある時期、ある場所に、時の流れそのものをただ一点に圧縮するかのような、光の決定的な体験があったのではないかということだ。こうした言い方には、どこか神秘主義が臭うかもしれないが、そう思わざるをえないほどに、富岡さんの光は、いかに戯れて官能をくすぐろうとも、あくまでも現実的で具体的(concrete)なものであり、まさにこの事実こそがその作品世界からすべての感傷を斥けているのではないだろうか。
 そして、私は考えるのである。ここまで現実的な光を、いつまでもありきたりの情緒的な光として通俗化するのは間違っているのではないかと。富岡さんの真摯なことこの上ない、おそらくは孤高の営為にあって、それはむしろヴィジョン(ラテン語のvidere「見る」に由来する)、つまり啓示のごとき「視の絶対化」の現れであると、言うべきなのではないかと。ヴィジョンとして見たもの、体得したものはすでに真実であり、揺るがしがたいものである。西欧中世においては、そうしたヴィジョンの天上から地上へよって来る経路を光の束、つまり実在としてあらわした作例がある。ヴィジョンとは、ただの幻ではないのである。
 富岡直子さんにとって、光の表現が、透明水彩を想わせる淡くはかない気分のようなものではないことは、パネルに綿布を貼った支持体の堅牢な存在からすでに明らかである。実体のない光とおぼしきもののために、画家は意外なことに、まず壁のごとき抵抗感を求めているのだ。そして、下地としてジェッソを塗りこめ、ヤスリで削り、ならしていくのだ。光を物質とするためには、これだけの下準備が必要とされるのだが、それは見方を変えれば、この時点で光だけではない、精神の物質化も始まっているということである。
 下地が出来あがると、光を封じ込めるように、あるいは引き出すようにして色とかたちが、衝動的に、まるで何かの物語/歴史(l'histoire)のように力動的に展開していく。しかし、この様子を一種のフォーマリズムとして論じようとしてみても、それはただ色を色に、かたちをかたちにしているだけのことであり、ほとんど意味がない。それよりも、こう言ったほうがいい。富岡さんの色とかたちを包み、貫く光は、現代の黙示録、映画「マトリックス」で悟りを開いたキアーヌ・リーブス扮する主人公ネオが光となって敵の体内に入り込み、内側から発光して敵を切り裂くように消滅させる場面を髣髴とさせると。富岡さんの造形にはそうした独得の鋭利な力づよさがあるのだ。
 富岡直子さんはジェッソの地塗りの上に、緑、青、黄色を基調とした鮮明な色を重ねつつ、類例の無い透明感と奥行きを生み出すことで、すこぶる精神的な境地を実現してきた画家である。そのスタイルは一貫してはいるものの、近作において新たな要素として紫、このもっとも高貴な色が参入しつつあり、今後より高度で深遠な物語り/歴史が期待されるのは注目すべきことだ。
 また、作品を眺めていると、これはたんなる偶然かもしれないが、従来の光の壁のごとき画面に、凹凸というか遠近感が強まり、その結果として断崖の中腹にある露営地とおぼしき小さくはあるけれども静謐な場所が用意されつつあることはいかなる意味を訴えているのであろうか。今の私にこれにたいする十分な答えはないが、少なくともそれが視覚的には見る者たちの、それぞれに孤独な魂の休息所の役割を果たすであろうとは言えそうだ。孤独な魂のこうした休息もしくは沈思黙考から生まれるものがあるとすれば、それこそは光の形而上学と呼ばれるべきものかもしれない。富岡直子さんはその祭司ともいうべき存在なのである。


(多摩美術大学教授/府中市美術館館長)

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光の記憶への旅

倉林靖

 

 最近、複数の展覧会で、富岡さんのやや過去の作品と最新作とを、同時に見る機会を得た。過去の作品(1999年から2001年のもの)は、全体的に、また特に白い部分が、直視するのが辛いくらい、眩しい。それに対して最近(04年~05年)のものは、色彩的に微妙な陰影を持つようになっている。どちらも客観的に対象化されているのだが、過去のものはより直線的・鋭角的で結晶のように切り立った「眩しさ」であるとすると、最近のものは、色が重なり合い幾つもの諧調を伴った層がつくられ、それが画面に「深み」を与えてきているように思えるのである。
 彼女と話していて印象的に思ったのは、このひとが内的な、明確な「ヴィジョン」を持っている、ということだ。しかもそれは、ひじょうに「個人的な」ヴィジョンなのだ、とも彼女は言っている。画家の意識の内に確固としたヴィジョンがあり、絵を描くときにそのヴィジョンが表出される、ということ。これは近現代絵画の思想の流れとは、一見、逆行するように思える。しかしひるがえってみると、富岡さんにおけるような絵画(あるいは映像)への接し方は、いま再び、感性的・感覚的なものへの、知覚の在り方への自覚という面から、わたしたちの最も現在的(かつ普遍的)な態度として特徴づけられるようになってきているのかもしれない。
 人間の肉体と感覚を通過してきた、光の記憶・痕跡が、人間のヴィジョンを形作る。それだけでなく、光のエネルギーを様々なかたちで摂取することも含めると、文字通り、人間は直截的に光から形作られている、ということもできるのではあるまいか。現在の記憶理論では、人間は生活面で出会ったすべての事柄を脳内に蓄えており、記憶とは要するに、ほとんどは再使用されずに埋もれてしまうそれら膨大な情報にアクセスすることだ、というふうになっているらしいが、そう考えれば、わたしたちの頭の中には、いままでの生涯で出会った全ての光の記憶が、そのときの周りの空気や風、音やざわめき、匂い、そして感情などとともにしまわれていることになる。そう思うと、不思議な気持ちになってくる。わたしたちの頭の中は光でいっぱいになっているのだ。そして富岡さんの絵画の作業の意味は、たぶん、鑑者それぞれがそうした光の記憶(あるいは集合記憶)にアクセスし、それらをともに共有できるところにあるのだ、と思われるのである。

(美術評論家)

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富岡直子 生命ある光と色彩

広本伸幸

 

 なんて綺麗な色! 絵が好きな人はもちろん、それほど美術に興味のない人であっても、この作品を前にすると驚きの声をあげる。スカーフやドレスにして身に纏いたいと思う女性もあるだろう。
 色は光によって現れる、当たり前だけれど暗闇では色は感じ取れない。色は物質や現象の性質の一つと言ってしまうと味気ないが、色気、顔色、音色、遜色、言葉だけとってみても様々な色が私たちの生活を文字通り彩っている。
 色を美しく見せるには土台の白が重要。画家のこだわりはこの下地の白を作るところから始まる。角材で補強した合板製のパネルに綿布をしっかり張りこみ、ジェッソ(石膏)を塗って乾いてからサンドペーパーで磨いていく、正確にはグラインダーで研磨していく。
その硬い白の上に広がる透明かつ鮮やかな色彩の乱舞を想像しながら。
 曇りやよどみのない色彩の塗り重ねには、失敗は許されない。普通の油絵のように塗り重ねて修正することができないのだ。真剣勝負。そのためには予め描かれるイメージが頭の中に出来上がっていなければならない。他人には見えないそのイメージが絵になる不思議。
 絵は英語ではpaintingつまり絵具(paint)を塗りたくったもの。ペンキのこともpaintだから、ペンキ塗りもpainting。
 日本語の絵の語源は「一切の物の形を得てわが物とすることからエという」(本朝辞源) 形ある色がイメージとして立ち上がり、画家の目には見えてくる。これだ!得たイメージを寸分違わず白の上に再現しようと絵具が塗られ始め、迷うことなく完成に至る。
 画家は自分の生命を一枚の絵に賭けている。しかしその苦闘の跡など感じさせることなく、爽やかな空気が通う光と色彩が目の前にある。

(@Gallery TAGBOAT Art Director)

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富岡直子 resonance II

広本伸幸

 

 resonance I とresonance IIとは、いわゆる連作である、シリーズ作品ともよばれる。クロード・モネの「積み藁」や「睡蓮」のように同じ主題やモチーフによって制作された一連の作品のことをいう。
 モネの場合は、一日の光の変化によってモチーフの移り変わる色彩をキャンバスにとどめようとした。そのため、白黒写真ではほとんど同じ絵にしか見えない「睡蓮」を十数点も描いたのである。
 resonanceのI とIIでは、共通する要素は作品の大きさと使われている色だが、作品が発する光、全体的な雰囲気など、個々の作品は独立していても組作品あるいは対作品として、並べて展示したくなる作品となっている。またそうすることによって、個々の作品が持つ性質を強調しあい、相乗効果によって、一層空間の広がりが増すように感じられる。
 農業で毎年同じ作物を繰り返し作っていると連作障害が生じるが、絵画の場合、連作は作品の出来不出来のむらを少なくする効果もある。富岡直子の作品では意識されていないが、絵画制作の品質管理、一種のTQCともいえる。そのことを一番意識していたのは、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンスタインといったポップ・アートとミニマル・アートと呼ばれる黒一色の「ブラック・シリーズ」から華やかな立体作品へ発展させていったフランク・ステラ、この三人のアメリカのアーティストたちだった。

(@Gallery TAGBOAT Art Director)

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